2021年5月21日金曜日

さびと曖昧さ

 私たちがすむ日本には日本独特の文化がある。

それは例えばわびさび。

下記はウィキペディアからの抜粋になります。


わび・さび侘《び》・寂《び》)は、日本美意識の1つ。貧粗・不足のなかに心の充足をみいだそうとする意識。閑寂ななかに、奥深いものや豊かなものがおのずと感じられる美しさをいう。[1]美学の領域では、狭義に用いられて「美的性格」を規定する概念とみる場合と、広義に用いられて「理想概念」とみる場合とに大別されることもあるが[2]、一般的に、陰性、質素で静かなものを基調とする[3]


西洋が白黒ハッキリする文化であるためこの日本独特の概念はよくわからないと言う部分があるかもしれません。

ただその明白な言葉で表現できない感覚が素晴らしいともいえます。


一方で、この曖昧さが悪い方に行く場合も多々あります。

政治家の発言や大企業の経営者の不祥事挨拶を聞いていると、とても曖昧でわかりにくいですし

先日橋本聖子氏から発言された東京オリンピック開催についてのコメントも具体性が全くなくとても中途半端なものになっています。


会見に出席した大会組織委員会の橋本聖子会長も続けて「医学・科学の知見を結集して安全安心な大会を開催する。医療に支障をきたすと厳しいので徹底的に策を講じる」


これは単なる一例ですが、日本人社会では何事についても明瞭にしないことを良しとするところがあります。

はっきり自分が目撃した事実についても、「~って感じで・・・・」「・・・みたいな~」と言ったり、「~とかなんとか言っちゃって」と言葉尻を濁すのもそのためでしょう。


ただこの曖昧さは相手を真っ向から否定したり相手の気分を害させないためのものであって、自分の責任逃れのためのものではないです。


特に国際社会と言う舞台ではこの曖昧さは無責任さの表れでしかありません。


また仕事ビジネスと言う世界でもこの曖昧さは無責任としか受けいれられません。


ぜひこの曖昧さの良いものは残しつつ、かつ状況やタイミングによって理論的な発言をする


そんな使い分けがとても重要になってきます。

曖昧な言動を続けることで信頼を失いかねませんので両方使い分けられるように自分のスキルを高めていく必要があるのではないでしょうか。


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